昭和43年12月22日 特別奉修委員



 例えば借金払いでも、精一杯の事をしたり、精一杯の努力をして断りを言えば、相手にもまあ気持ち良く、その自分の思いが通うように自分の努力もせず、そしていよいよの時に払えんからと言ったんじゃ、まあやっぱりこの腹が立つようなもんですよね。ですから信心も例えば、私は今日が最後の奉修委員の方達の御祈念会と思っておったら、もう一遍あるようですね。ですからそのもう一遍もう一週間後に、29日になるでしょ30日にかなるでしょう。
 例えば今年私どもが取り組んできたこと。それはもう「いよいよ豊かにいよいよ大きく」ということでしたからね。けれどもいつの場合でもやはり、この御教えがこれは私の場合ですけれども、いつの場合でも私を支えてくれた感じがいたします。皆さんもやっぱり、多少そうなり、大なり小なりそうであっただろうとこう思うのですけれども。それからと言うてから厳密にまた、あの思い検討してみますと、ほんとに目の粗いことに驚きますです。そこで私はもう一遍ここにですね。
 今月私はお詫びの信心で行こうと。そのお詫びと言うても目の粗いことね。ですからもう一遍ほんとにこげな貧しい心、こんな豊かでない心という、大きくなれてないと言う事をですね、本気であのまあ年末なら年末まで、まあ一週間なら一週間をね。本気でこここそ豊かにならにゃんとこばいと。これこそいっちょ大きゅうならにゃんとこばい、こう一週間でもね、一生懸命努めてなおかつですね、まだできない事に気が付くだろうと思いますけども。そうして詫びたらね、許されると言う感じが致しますですね。
 借金払いでも同じこと。一生懸命努めて努力してですね、そしてです「これだけしかできませんでしたから」と言やね、その一生懸命なものが相手にも通うけれども、そん時になって「すみません。これだけしか払われません」と言うたらやっぱりそのね、向こうでも気持ち良う受けてもらえないようにです。せめてその一週間をね、例えばこの一週間をひとつ大事に、「はあ、こここそいよいよ豊かにならんならんとこばい」と、「いよいよ、こここそ大きゅうならにゃんとこだ」というふうに。
 ひとつ再検討させて頂き、同時に、それに取り組ませて頂いてですね、それでもやはり、目が粗いことに気が付きましょうけれどもですね。そこんところを私はあの詫びて行ったら、許されると言う気がいたします。まあ残されたまあ一週間余りの今年と言う残り少ない日をですね、いよいよ「いよいよ豊かにいよいよ大きく」と言う事に、まあその仕上げをさして頂くような気持ちで取り組んで行きたいね。
 いわゆるその努力を一生懸命してみる。一生懸命目細もうやってみる。それで私はお詫びをさしてもらうと言うのでなからなければ、例えば除夜祭の言わば除夜祭と言うのは、まあ一年中のお粗末ご無礼を詫びるお祭りだと言われておりますから、そのお詫びのお祭りに持って行きようがない、とこう思うですよね。そこんところをひとつ努力して、精進してそしてお詫びに持っていきたいと思うです。
   どうぞ。